御金蔵破りについて


警戒厳重な城中に忍び込んで大判、小判を頂戴する。



いわゆる「御金蔵破り」は時代劇の名場面ですが、そうは多くなかったようです。



見つかれば、打ち首、獄門は免れません。



第一、大名は貧乏で、商人からお金を借りていた所が多く、御金蔵に押し入っても大した物は取れず、割が合わないと言う事が泥棒にも分かていたのでしょう。



とは言っても、御金蔵破りが全くなかった訳ではなく、いくつか報告されています。



その内、おそらく最大な物は享保19年に甲府城の金蔵を襲ったものではないでしょうか。



この御金蔵破りでは二千両が奪われたと記録に残っています。



犯人は捕まりませんでしたが、この時は甲府勤番の交代制を狙ったと言われています。



それだけに、幕府の内実に詳しかった者の犯行と考えれています。



ただ、御金蔵破りは大名にとって極めて不名誉なだけに、あったとしても闇から闇に葬られた公算が大きいと思われます。



それだけに実際にはこれ以上多額なものがあったかも知れません。


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