佐渡の金山


「草木もなびく」と歌われた佐渡ヶ島。



佐渡へ草木をなびかせたのがこの島が産出した金でした。



関ヶ原の戦いの翌年1601年に発見され、江戸時代に産出量が急増。



佐渡といえば金山、金山といえば佐渡」と言う程に日本を代表する鉱山になりました。



幕府は慶長小判をはじめ各種の小判を鋳造しましたが、小判の鋳造には佐渡の金が大きな役割を果たしました。



ただ、生産には大変な犠牲が払われ、金を掘る時に大量の水が湧き出し、その水を汲み出すのが重労働でした。



これには諸国で罪を犯して佐渡に送られた人々が当たりましたが、環境が極めて悪く約3年しか生きられなっかたそうです。



「佐渡は生き地獄」と恐れられ、佐渡を脱出する「島抜け」は死罪だったにも関わらず脱出を図った人が跡を断たなかったそうです。



しかし成功の記録はほとんど残っていません。



江戸時代にこの島で産出した金の量は不明で、一説には約80トンとも言われています。



その約3分の1が運上金として、幕府に納められたとの事です。


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